先生が廊下の先を曲がってきた瞬間を見る

 

公立中学校に上がって最初の学期に学級委員になる人間は、私の経験上二種類に大別できる。

一つは運動神経が良くネアカで生徒から信頼され、さらに教職員ともウマをあわせて愚鈍な10代を率いる未来のリーダーで、もう一つは、とりあえず真面目な人間(つまり当時の私)である。前者は本項に登場しないのでこれ以上仔細な説明は行わない。

 

とりあえず真面目な人間、すなわちトリマジメは自己主張が控えめで、ふざけることも少なく、かといって根暗かと言われると半分くらいは根暗だが、友達をたくさん作るくらいの明るさももっている。

このような人間は他に適当な生徒がクラスにいない場合には学級委員として白羽の矢が立つ。上司にしたくない人間ランキングで最下位になれるほど、最も嫌われない人間であるからだ。

 

 

責任という二文字は、教職員らが未来ある子供のためを思って、彼らの自主性や社会性を育むべく乱発するのだが、実際にトリマジメの背中にのしかかる時はその重量1tを優に超える。クラス内で「責任」とかいう単語をこの時点で知っているものはごくわずかなのだが、トリマジメはこの類のセンサーに極めて優れており、中学校で教わる人徳や社会的コードを同年代の他の生徒に比べて圧倒的に多く保有しており、ありとあらゆる手段で大人たちの望む役を演じることができるのだ。

彼らはこの責任の二文字を完全に遂行すべく、あらゆる努力を尽くすのだが、その究極系の一つが、「誰よりも早く教職員の存在を検知する」である。

授業開始時間になってもふざけ合い騒いでいる同級生を真に着席させるべき時間は授業開始時間ではなく、授業担当の教職員が教室にやってくるタイミングである。

 

そして今日は12月31日であり、わたしのように真面目な人間はまた、次の年が来る前にひとつ、来年の書く行為への足がかりを作ろうとしているのである。